2010年3月31日水曜日

歯石

○歯石(calculus)
口腔内の付着物などが石灰化してできる、容易に除去できない歯の沈着物である。
成分は無機質が約90%、有機質が約10%で、リン酸カルシウムを主成分としている。
歯石には新たなプラークが付着しやすくなるため、歯石の除去は歯周治療において重要である。

○プラーク=歯垢
いわゆる歯屎(歯糞、はくそ)。
歯牙表面に付着した黄白色を帯びた粘着性の物体のことを指す。厳密には歯牙との接触面は獲得被膜ペリクルと呼ばれる皮膜で、その上に形成されたものが歯垢。デンタルプラーク、また単にプラークと呼ばれている。
歯垢はその組成の8割が水分、残り2割が有機質である。その有機質の大半は細菌(口腔常在菌)とその代謝物であり、口腔内の清掃状態によって細菌が変化し、歯周病や齲蝕など様々な疾患の原因となる他、口臭等を誘発する。
歯垢が石灰化して歯牙表面に張り付いたものを歯石と呼ぶ。歯垢の間は歯ブラシやデンタルフロスなどによる口腔清掃によって除去できるが、歯石となると歯科医院等でなければ取ることは出来ない。

◎プラークコントロール(歯垢を着きにくくする)するには?
△規則正しい食生活
不規則な食事回数や間食などは、歯の表面が虫歯菌によって溶けやすく、プラークが付着しやすい状態を作る為、規則正しい食生活はプラークコントロールの1つです。

△繊維質の食品を良く咬んで食べる
歯の表面のプラークが繊維質を良くかむことで落とされて減少するため、これもプラークコントロールの1つです。

△定期的な歯石取り
自分で行うだけがプラークコントロールではありません。病院などで歯石などを取ると表面がツルツルな状態になり、プラークが付きにくくなります。これらもプラークコントロールの一つです。

△虫歯の治療
虫歯があるとその部分が段差となり、プラークが付きやすくなります。このため虫歯を治療して表面の段差が無くなれば、プラークコントロールに役立ちます。

2010年3月30日火曜日

物語論

フェルディナン・ド・ソシュールによって定義された言語学用語では、シニフィエ(意味)、シニフィエ(言葉)に分けられる。またその対をシーニュと呼び、その関係性をシニフィカシオン
と呼ぶ。

物語を語る=物語行為(<strong>narration</strong>)
物語(narrative)
  |ー語り手(narrator)
  |ー聞き手(narratee)

2010年3月29日月曜日

弁当

■弁当(辨當)

【語源】
「弁当」は、「好都合」「便利なこと」を意味する中国南宋時代の俗語「<font size="2"><strong>便當</strong></font>」が語源ともされており、「便當」が日本に入り「便道」、「辨道」などの漢字も当てられた。「弁えて(そなえて)用に当てる」ことから「辨當」の字が当てられ、「辨當箱」の意味として使われた。

【歴史】
古代
稲の栽培がはじまった弥生時代には、とれた米を蒸かして乾燥させたもの「糒(ほしいい)」を持ち歩き、水やお湯でもどして食べていた。猟や農作業などの作業途中に食事をとるために家から持って行ったと考えられる。
<strong>
糒(ほしいい)</strong>を衣(きぬ)の中に包みて坂田に到る
(日本書紀)
「糒(ほしいい)」を布で包んで持ちながら歩き、坂田に着いた。「糒(ほしいい)」とは「干し飯 (ほしいい)」は「乾飯(かれいい)」とも言う(伊勢物語「東(あずま)下り」)。

家にあれば 笥(け)に盛る<strong>飯(いい)</strong>を草枕 旅にしあれば 椎(しい)の葉に盛る
(万葉集 有間皇子(ありまのみこ))

というのがあります。家では竹でこしらえた曲げ物の器(うつわ)「笥」にこんもりとごはんを 盛るのに、今は旅の途中なので椎の葉っぱの上に盛る、という歌の意味ですが、実は無実の罪に問われて死刑場にとらわれの身となって護送されている途中に 詠んだ歌です。「糒(ほしいい)」「乾飯(かれいい)」は、昔から日本人の 携帯食だった。

平安時代
「干し飯(ほしいい)」または「糒(ほしいい)」と呼ばれる調理済みの乾燥米も利用されていたが、携帯用の食料として「<strong>頓食</strong>(とんじき)」と呼ばれたおにぎりが登場する。甑(こしき)という蒸し器で蒸したごはんは固いので「<strong>強飯</strong>(「こわいい」と言い、現在の「おこわ」のこと)」とも言いますが、釜で炊いたごはんはやわらか く、これを「<strong>姫飯</strong>(ひめいい)」と呼んだそうです。現在、私たちが食べているごはんはこの「姫飯」なのです。そして、この「強飯」や「姫飯」を卵形におに ぎりにしたものを平安貴族は「<strong>屯食</strong>(とんじき)」と呼びました。また「屯食」は宮中の女房(女性の仕官)など、女の人の言葉で「<strong>おにぎり</strong>」とも呼ばれていました。「おむすび」という呼び名もありますが、これは手や指を合わせて形を作ることを「むすぶ」と言うところからきたものだと考えられているようです。「源氏物語」には、主人公の光源氏が元服する時に、家来たちに「鳥の子」という卵形をしたおにぎりをふるまったという場面もある。

「屯食(とんじき)、禄の唐櫃(からびつ)どもなど、所狭(せま)きまで」
(源氏物語)
 (祝いの品としておにぎりや唐櫃(衣類などを入れる玉手箱みたいな箱)などが所狭しと並べられた)

むかし、男ありけり。<font size="1">(中略)</font>三河の国、八つ橋というところにいたりぬ。<font size="1">(中 略)</font>その沢のほとりの木かげに下<font size="1">(お)</font>り居て、<strong>かれいひ</strong>食ひけり。<font size="1">(中略)</font>
唐衣<font size="1">(からころも)</font>きつつなれにしつましあれば
はるばるきぬる旅をしぞ思ふ
とよめりければ、みな人<strong>かれいひ</strong>の上に涙落してほとびにけり。<font size="1">(後略)</font>
(『伊勢物語』新潮日本古典集成 新潮社1976年)

安土桃山時代
茶の文化が進む事で、弁当は花見や<strong>茶会</strong>といった場でも食べられ、現代でも見られるような漆器の弁当箱が作られるようになる。

江戸時代
天下泰平の時代になると、弁当はより庶民の間でも市民権を得る。旅行者や観光客は簡単な「腰弁当」を作り、これを持ち歩いた。腰弁当とはおにぎりをいくつかまとめたもので竹の皮で巻かれたり、竹篭に収納されたりした。能や歌舞伎を観覧する人々が幕間(まくあい)に食べる特製の弁当として、「<strong>幕の内弁当</strong>」が登場する。弁当のハウトゥー本も多数出版された。ひな祭りや花見に向けての準備を行う庶民のためにこれらの本には弁当の具体的な調理方法や包み方、飾り方などが詳しく書かれていた。

明治時代
給食もなく、また外食施設が発達していなかったため、役所に勤務する官吏たちは江戸時代からあるような腰弁当を提げて仕事に出掛けていた。そのため、安月給の下級役人は「腰弁」などと呼ばれていた。また明治初期の学校では昼食を提供していなかったので、生徒と教師たちは弁当を持ってこなければならなかった。明治初期には、鉄道駅で最初の「<strong>駅弁</strong>」が発売された。当初の駅弁はおにぎりと沢庵を竹の皮に包んだような簡易なものであった。サンドウィッチのようなヨーロッパスタイルの弁当が現れ始めたのもこの頃からである。

大正時代
第一次世界大戦とそれ以降に不作により、学校に弁当を持って来る慣例を廃止する動きがあり社会問題に発展した。東北地方など地方から都会への移住者が増えたため、所得格差が大きくなり、弁当に大きな貧富の差が表われた。当時の人々はこの現象が肉体的な面からと精神的な面から、子供たちに好ましからぬ影響を与えると考えたのである。

昭和初期
アルミニウムをアルマイト加工した弁当箱が開発された。壺井栄の小説『二十四の瞳』に描写されるようにそれは目の覚めるような銀色をしており、またメンテナンスの容易さもあって当時の人々から羨望の的となる。またかつて小学校の冬の暖房装置にストーブ類が多用されていた頃は持参したアルマイト弁当箱ごとストーブの上に置き、<strong>保温・加熱</strong>するということも行われた。

第二次世界大戦後
学校の昼食は給食に切り替えられ全ての生徒と教師に対し用意されるようになった。これによって徐々に学校に弁当を持参してくる習慣は少なくなった。

1970年代
駅弁は国鉄のディスカバー・ジャパンキャンペーンもあって鉄道で観光旅行に出かける人が増えると各地の素材や郷土料理を活かしたもの、観光地にまつわる物などより多様なものとなった。中小規模の企業で自前の食堂を持たないところを対象に、弁当を配達する業者も一般的となった。持ち帰り弁当専門店(通称:<strong>ホカ弁</strong>)の台頭。急激に普及した<strong>コンビニエンスストア</strong>での販売で、そこで販売される弁当は店の電子レンジを使用していつでも温めて食べられることが売りとなった。スーパーマーケットの<strong>惣菜コーナー</strong>にも弁当が並ぶようになった。これらは「弁当を持ち帰って食べる」という新しい流れを作り出した。また都心部の食堂が少ない地域に、弁当を売りにくる業者も急増した。弁当の配達業者も、時間指定で温かいものを届けることを売りにするものが現れ始めた。これらの現象と呼応するように、ドカベンに象徴される金属製の弁当箱は耐熱性プラスティックなどの弁当箱に変わっていった。
一方で行政がコストを削減させる目的で一部地域の学校では給食制度が廃止となり、家から弁当を持ってくる習慣が復活しているという。弁当の調理は家 庭の主婦の仕事とされてきたが女性が外に勤めに出ることも多くなったなどの事情もあり、コンビニエンスストアで買ってきたおにぎりやパンを持参する生徒も 多くなった。

平成時代
コンビニエンスストアが地方でも一般的になり温かい弁当が一般化すると駅弁でも化学反応を利用して加熱できるタイプのものが登場した。2003年頃から、空港で販売される弁当「空弁」がブームとなっている。乗客は空港での待ち時間や飛行機に乗っている間にそれを食べている。2005年からは、(主に母から子への)愛情弁当の「キャラ弁」が流行となっている。

現代
低価格の<strong>250円弁当</strong>が路面店で売り出され、採算の合う大都市中心部で流行している。以前から低価格の弁当は存在していたが、カテゴリとして確立したのはこの頃である。また、節約のために弁当持参をする人が増えた。弁当男子という独身男性が自ら弁当を作って持参する言葉が生まれた。さらに1970年代に開発、発売された保温弁当容器も進化を遂げて一昔前の大きな弁当箱というイメージは薄れ男性用ビジネス鞄に入るスリムなタイプが登場した。近年は女性向けに小型化されてカラフルでおしゃれなタイプの保温弁当箱も登場している。

2010年3月22日月曜日

シュンペーター

ヨーゼフ・アーロイス・シュンペーター(1883年2 月8日 - 1950年1月 8日)
オーストリア出身の経済学者。企業者の行う不断のイノベーション(革新)が経済を変動させるという理論を構築した。

シュンペーターはワルラス流の一般均衡理論を重視した。
彼の理論にでは、均衡状態はイノベーションによって不断にシフトしており、イノベーションが加わらないと経済は均衡状態に陥ってゆく。均衡では企業者利潤は消滅し利子もまたゼロになる。
市場均衡を最適配分とみる古典派の見解と異なり、シュンペーターにとって均衡は沈滞である。

イノベーションはつまり新結合である。(新発明ではない!)

イノベーションとは、経済活動において旧方式から飛躍して新方式を導入することである。日本語では技術革新と訳されることがあるが、イノベーションは技術の分野に留まらない。シュンペーターはイノベーションとして以下の5類型を提示した。

1. 新しい財貨の生産
2. 新しい生産方法の導入
3. 新しい販売先の開拓
4. 新しい仕入先の獲得
5. 新しい組織の実現

イノベーションの実行者を企業者(アントレプレナー)と呼ぶ。この意味における企業者は、一定のルーチンをこなすだけの経営管理者(土地や労働を結合する)ではなく、生産要素を全く新たな組み合わせで結合し(新結合)、新たなビジネスを創造する者として重視される。起業者。

シュンペーターは銀行の機能を大分持ち上げている。起業者が銀行から信用貸出を受け、それに伴い銀行システムで通貨が創造されるという信用創造の過程を重視した。というかイノベーションの全権を担っていると考えたのだ。古典派の貨幣ヴェール観では貨幣や信用を実体経済を包むだけの名目上の存在とみなしたが、彼の理論によると「銀行家は単に購買力という商品の仲介商人なのではなく、またこれを第一義とするのではなく、なによりもこの商品の生産者であるとみなされる。

起業者が銀行組織の信用供与(銀行からの借入)を受けてイノベーションを実行すると経済は撹乱されるが、その不均衡の拡大こそが好況の過程であるとシュンペーターは考えた。一方で、イノベーションがもたらした新しい状況において独占利潤を手にした先行企業に後続企業が追従して経済全体が対応し、信用収縮(銀行への返済)により徐々に均衡化していく過程を不況と考えた。

著書:
『理論経済学の本質と主要内容』
『経済発展の理論』
『景気循環の理論』

2010年3月15日月曜日

失敗のものづくり

製造業はひたすら安く、早く、大量に作ることにのみ挑戦している。

本当に生活に必要とされるものなのだろうか?

日本をみると高度経済成長期に比べて、必要とするものはあふれ、付加価値を加えた部分で製品の価値が決まってくる。そこはもちろん個人の好みが強くなってくるので、他の産業を見るに洋服のデザインであったり、心地よさであったり、ステータスであったりする。

一方で発展途上国においては今だ生活必需品といえるような工業製品が望まれている場所がッ多々ある。そこではもちろん日本で磨きこんできた多機能製品が求められているのではない。いわゆるボリュームゾーンと呼ばれるような製品群なのである。

ボリュームゾーンとはすなわち一般的な大衆をターゲットとして、共役的機能があればよい。

日本の製造業はそれらを目指しているのだろうか?そこでは今までとは根本的に異なるものづくりの仕方が必要なのではないのだろうか。日本におけるあらゆるコストは高い。愚直に努力するということは何も考えないことではない。

マニュアルは従っていても何も意味はない。いかにマニュアルを作って広げていけるか。新しい製品であればそれなりの、当事国でないなら現地の調査をマニュアルに加えていくべきなのではないだろうか。

2010年3月11日木曜日

タブレットパソコン

何故タブレットというのか?

語源は、ラテン語で「板」を意味する「タブラ(tabula)」

そこから、tableau=劇の中間や最後ですべての役者が制止した絵のような画面。劇的場面。

tableau自体は1690年のフュルティエールがにて
「画家が絵筆と絵の具を用いてイメージあるいは表象を制作したもので、額縁に入って運搬可能なもの」
と最初に定義した。(『普遍辞典』『万有事典』『フェルティエール事典』とかいうそうな)

元々17世紀のオランダの絵画を中心に発達し、当時の画家たちが描いた絵画をフレーム(枠)の中にいれたもの=タブローと言う。

同じ語源を持つ単語はtablet, table, tabroidなど。

なのでパソコンの画面があってキーボードがなく枠だけのものをタブレットパソコンという。

2010年3月10日水曜日

観念論

観念論(idealism)

唯心論、観念論、理想主義。⇔唯物論。

物質よりも精神、理性、言葉に優位性を置く理論。

思考と外界はお互いにお互いを創造しあうが、そこでは思考が、決定的な役割を持つ

ジョージ・バークリ
「すべて人間が認識するものは思考による観念の所産」

イマヌエル・カント
「我々が世界を空間や時間という形で把握するのは人間認識のアプリオリな制約である経験への超越論的制約による」

ヒンドゥー教=ブラフマン(宇宙の根本原理)が世界の本質。自己の中心はアートマン。ブラフマンとアートマンは等価(梵我一如)

キリスト教徒=キリストの人間としての肉体の実在性と物質的な世界における人間の善性の重要性

禅宗=観念論と唯物論の中庸

2010年3月9日火曜日

狼藉

【狼藉】
無法な荒々しい振る舞い。乱暴な行い。

狼藉は、中国の通史「史記 滑稽列伝」による漢語。
「藉」には敷く、踏む、借りる、雑、敷物、かきつけ、書物、などの意味がある。籍は薄く削った竹で、これを竹簡として使用した。紙以前は竹簡や木簡を綴じて書物にしていた事から書籍につながる。

狼藉は狼が寝るために敷いた草の乱れた様子から、物が散らかっている様子を意味した。

日本に入ってから、狼藉の派生的な用法として「乱暴な振る舞い」も意味する
ようになる。

籍籍=がやがやと騒がしいさまを言う

2010年3月8日月曜日

free

「自由」
・心のままであること。思う通り。自在。古くは、かって気ままの意に用いた。
威福自由なり。
・(freedom; liberty)一般的には、責任をもって何かをする事に障害(束縛・
強制)がないこと。自由は一定の前提条件の上で成立しているから、無条件的
な絶対の自由は人間にはない。自由は、障害となる条件の除去・緩和によって
拡大するから、目的のために自然的・社会的条件を変革することは自由の増大
である。この意味での自由は、自然・社会の法則の認識を通じて実現される。
・社会的自由。社会生活で、個人の権利(人権)が侵されないこと。歴史的
に成立している重要なものに、市民的自由と政治的自由がある。前者は企業の
自由、契約の自由、財産・身体の自由、思想・進行の自由、言論・集会・結社
の自由などを指し、後者は参政権そのほか政治的目的のための行動の自由を意
味し、両者ともそれらに対して国家権力その他の干渉がないことを意味する。
・意思の自由。
・倫理的自由。カントにおいては、意思が感性的欲望に束縛されず、理性的
な道徳命令に服することで、自立と同義。サルトルにおいては、人間は存在構
造上自由であり、したがって常に未来の選択へと強いられており、それ故自由
は重荷となる。
「広辞苑」

サルトル(1905-1980)
「人間は自由という刑に処せられている」「実存は本質に先立つ」
自由とは、自らが思い至って行った行動のすべてにおいて、人類全体をも巻
き込むものであり、自分自身に全責任が跳ね返ってくることを覚悟しなければ
ならないものである。このようなあり方における実存が自由である。

2010年3月7日日曜日

ヒズボラ

アラビア語で「神の党」1982年結成。
反欧米、イスラエル殲滅を掲げる急進的シーア派の組織
戦術としての自爆テロ攻撃を率先して採用した。
イスラエル兵士拉致事件などで知られる。

○イスラエルと
1967年第3次中東戦争でエルサレムを占領したイスラエルはエルサレムを首都と宣言する。

2006年にはイスラエルがレバノンにおけるヒズボラを攻撃。大義はイスラエル兵士の救出だった。このレバノン攻撃により多数のレバノン人が犠牲になる。

レバノン侵攻はイスラエルの勝利のないまま停戦となり、結果、イスラエル国内での批判、軍内部での批判、軍幹部のヒズボラ侵攻による株取引の発覚、などにより2008年オルメルト首相は退任した。現在は親パレスチナのネタニヤフ首相。

2010年3月6日土曜日

日本の自然エネルギー

日本が利用できるエネルギーはどれぐらいあるのだろうか。
化石燃料はほぼないので、自然から取り出せるとしてまとめてみた。
(NEDOの資料より)


※技術的資源量:理論資源量からから、現時点の物理的、技術的な制約条件を加味

やっぱり太陽光が大きいが地熱の発電量も理論値は多い。
ただ一方で太陽光は太陽が隠れると発電量が落ちるので変動性が高い。
すると地熱発電が一番有力なのではないか。


ちなみに、日本の年間発電量は約1000TWh 最大電力消費量は約180GW。
太陽光だけでは変動に耐えられないので、
地熱の技術開発を行えば現在の発電量の30倍程度はまかなえる。
これを利用すれば将来はエネルギー輸出国にもなれるのだ。

ERPパッケージ

Enterprise Resource Plannning。企業の経営資源を効率化するために、基幹業務を部門ごとではなく統合的に管理するためのソフトウェアパッケージ。

各部門ごとに別々に構築されていたシステムを統合し、相互に参照・利用できる。財務会計や人事などデータの一元管理が主なもの。その他部門間でデータのリアルタイムなやり取りなども可能。

ERPパッケージを導入して経営効率を向上させるには、業務プロセスの検証、標準化が必須。従来の会社の方法と大きく異なるのも効率低下をまねくから。
企業の特性や対象とするパッケージの違いからコストがかさんだり安く済んだりする。

2009年の国内ERP パッケージライセンス市場は、前年比14.0%減の1,005億円
世界市場は400億ドル。日本は3%程度。

独SAP社のSAP R/3
米Oracle社のOracle Applications
PeopleSoft社のPeopleSoft
オランダBAAN社のBAAN
など。

2010年3月5日金曜日

日本教職員組合

日本の教員・学校職員による労働組合の連合体。略称は、日教組。教員の労働組合連合体としては日本最大である。連合に加盟している。

法人格のない社団

国旗掲揚及び国歌斉唱を入学式などで行う指導に対しては、「強制」であるとして批判的。

ILOなどのNGO諮問団体であるEducation International(EI)に加盟。

組織人員は2008年約29万1000人。

現在では民主党を基軸に社会民主党も支持。組合出身の議員も多数。

君が代不斉唱不起立
教育基本法改定反対運動
ゆとり教育の推進
教研集会全体集会の中止

2010年3月3日水曜日

虚無的王道

王道とは仁徳を本質として行う政治の事

覇道とは武力権謀を本質用いて行う政治の事

虚無は一切の有無相対を超越するなり

現代の政治がいづれに向かっているかはあきあらか

欲望が欲望を欲している

地球温暖化基本法

2020年までに1990年比25%削減を目指す

その為の法律

「地球温暖化対策基本法」

が閣議決定間近。

しかし、官僚・産業界による猛烈な反発がある

というのも

・「すべての参加国が加盟したら」25%削減する。実質凍結。
・キャップアンドトレード式排出権取引にキャップなし。電力業界に甘い。
・自然エネルギー=ヒートポンプにしようとしている。ただの省エネ技術。

鳩山首相のCOP15発言が実現できないので

うやむやにしようとしている。

2010年3月1日月曜日

フリードリヒ ハイエク

フリードリヒ・ハイエク(1899年-1992年)。
市場主義と自由主義と個人主義を主張し、新自由主義の旗手となっている。
それでいてケインズとは袂と分かつ論争を展開した。
ケインズは小さな政府を主張し、ハイエクは徹底した自由主義を標榜したのだ。

古典派(アダム・スミス)の大前提では、市場に参加するすべてが完全な知識をもっていると想定されているが、実際はそうではない。そこを不確実性として捉えてきたのが自由主義であり不確実性をどのように扱うかが長年議論されているのである。

ケインズとハイエク、お互いに自由主義ではあるのだが、その市場の不確実性において違った見方をもった。ケインズは貨幣の本質も、将来の不確実性に対する備えにあるとした。一方で、ハイエクは社会や経済に不確実性があることはケインズ同様に認識していたのだが、だからこそ市場の自立性や自在性に事態の推移を任せるべきだと考えた。市場はとことん自律的に動くべきもので、政府はよほどのこと以外は手を出すべきではない。

フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエクは、オーストリア生まれ。オーストリア学派リバタリアニズム思想家。ノーベル経済学賞受賞。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの従兄弟にあたる。

ハイエクが言うには、本当は、不完全な知識が市場に参加することによって、うまく分業されているのではないか。つまり知識もまた、アダム・スミスが「労働の分業」を説いたように、分業されているのではないか。

その結果が、『隷属への道』(1944)に表れている。そこでは全面的な社会主義批判と、ファシズム批判を展開した。

カール・ポパーは、そのハイエクの論について、「開かれた社会」にて知識(客観的な知識や科学的な知識)が機能すると言ったし、後にハイエク+フリードマンのシカゴ学派の組合せによりいわゆる新自由主義が成立ってきた。サッチャーがハイエクの書を掲げていたのは有名。

1944年『隷属への道』
1945年『社会における知識の利用』