「持っていれば与える、持っていないなら奪う」
芭蕉和尚が拄杖を差し出して言いました。拄杖は2メートル程の杖で、行脚のときに身体を支えたり、川の水の深さを測るための携帯品。
「お前さんが拄杖を持っているならば拄杖を与える。拄杖を持っていないならば拄杖を奪う」
また、拄杖は棒とも言われますが、いずれにせよ竹箆(しっぺ)や払子(ほっす)など和尚さんが手にしている法具は修行者を指導するための道具で、「悟り」を象徴するものです。
古人は「拄杖子を識得(しきとく)すれば一生参学の事おわる」と言った。
「与える」と「奪う」は言葉は違うが同じ事。「棒を与え、自我を奪う」。
学人(修行者)を指導するために「ギュウギュウ締めたり」、「ダメだ、ダメだ」と否定したり、「奪って、奪って、奪い去ったり」、徳山のように「良くても悪くても三十棒を与える」のは禅の指導者の常套手段です。自我を否定して無心の働き、すなわち般若の智慧の発露を促していくのです。