フリードリヒ ハイエク

フリードリヒ・ハイエク(1899年-1992年)。
市場主義と自由主義と個人主義を主張し、新自由主義の旗手となっている。
それでいてケインズとは袂と分かつ論争を展開した。
ケインズは小さな政府を主張し、ハイエクは徹底した自由主義を標榜したのだ。

古典派(アダム・スミス)の大前提では、市場に参加するすべてが完全な知識をもっていると想定されているが、実際はそうではない。そこを不確実性として捉えてきたのが自由主義であり不確実性をどのように扱うかが長年議論されているのである。

ケインズとハイエク、お互いに自由主義ではあるのだが、その市場の不確実性において違った見方をもった。ケインズは貨幣の本質も、将来の不確実性に対する備えにあるとした。一方で、ハイエクは社会や経済に不確実性があることはケインズ同様に認識していたのだが、だからこそ市場の自立性や自在性に事態の推移を任せるべきだと考えた。市場はとことん自律的に動くべきもので、政府はよほどのこと以外は手を出すべきではない。

フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエクは、オーストリア生まれ。オーストリア学派リバタリアニズム思想家。ノーベル経済学賞受賞。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの従兄弟にあたる。

ハイエクが言うには、本当は、不完全な知識が市場に参加することによって、うまく分業されているのではないか。つまり知識もまた、アダム・スミスが「労働の分業」を説いたように、分業されているのではないか。

その結果が、『隷属への道』(1944)に表れている。そこでは全面的な社会主義批判と、ファシズム批判を展開した。

カール・ポパーは、そのハイエクの論について、「開かれた社会」にて知識(客観的な知識や科学的な知識)が機能すると言ったし、後にハイエク+フリードマンのシカゴ学派の組合せによりいわゆる新自由主義が成立ってきた。サッチャーがハイエクの書を掲げていたのは有名。

1944年『隷属への道』
1945年『社会における知識の利用』

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