2008年12月28日日曜日

アフロ

アフロ犬、越路犬、高安犬、薩摩犬、四国犬、十石犬、柴犬、重慶犬、縄文犬、北海道犬、土佐犬、豊山犬、チワワ

2008年12月15日月曜日

WASP

オバマ政権が20日には誕生する。アメリカ社会はどう変わるのか? WASPの時代はピューリタン精神で、あぶく銭を儲ける発想は全然なかった。その意味ではじつに実態の経済に近かった。金融危機を引き起こした信用不安も実態に近くなるのか。冷戦の核・ロケット開発により派生した金融工学がどの様に扱われていくのか注目したい。

2008年10月11日土曜日

人生は死ぬまでの暇つぶし

どんな事をしても、立派になっても、お金を蓄えても、地位や名誉を得たとしても、皆死ぬ。
行き着く先、最後の尻尾は皆同じになるのだ。じゃあ何をしても良いという事かというと、何をしても良い。しても良いが、仕方にも色々ある。有意義な仕方ってなんだろうか。最後の目的は皆同じなのにその間が異なるだけなのに人生ってこんなに皆違う風に見えてくるのだ、やっぱりその過程やプロセスは方法が全てを作っているのかも。

2008年9月28日日曜日

武者小路実篤

この道より我を生かす道なし この道を歩く

我を生かす道これ以外なしとは思い切った内容である。
我を生かす道を狭める事なく広く自分の可能性を探すべしと言う人もいれば実篤の様に生きる人もいるだろう。

実篤は1885年5月12日、子爵武者小路実世の第8子として東京の千代田区に生まれる。子供時代は作文が苦手であった。1910年には志賀直哉、有島武郎、有島生馬らと文学雑誌『白樺』を創刊。理想主義・空想社会主義的行動を掲げ、1918年に宮崎県児湯郡木城村に現「新しき村」と呼ばれるユートピアをを建設した。ユートピア自身は6年でその夢破れるも、そこでの文筆活動が後の作品にも影響を与え、1946年には貴族院議員に就任。1951年に文化勲章を受賞している。代表作品『人間万歳』『或る男』。

2008年9月15日月曜日

読む

文字や文章や本を読む方法とは。構文で流れを掴むようする事。文章の流れとは文脈の流れ。その作り方に意味が立ってくる。起承転結を見い出すのも一つの方法であるが、というかその方法でずっと読むという事をしてきたのだが、著者が意図している意味を掴む様にしたい。そこにはもしかしたら起承転結でなく、起結承転とか結承転起とか、起起起起起起なんてあるかも知れない。

2008年8月4日月曜日

天保の改革

江戸時代の天保年間(1830年~1843年)に行われた幕政や諸藩の改革。貨幣経済の発達に伴って逼迫した幕府財政の再興を目的とした(金融・財政難からの回復を目標)。12代家慶の老中首座水野忠邦が中心となり、質素倹約の重農主義を基本とした(農本主義へ)、享保・寛政時代への復古を目指した。天保の大飢饉に伴う一揆や打ちこわし、大塩平八郎の乱といった国内不安や、アヘン戦争、モリソン号事件などの対外的不安が幕府を取り囲む中、経済改革を中心に、綱紀粛正や軍制改革などが実施された。聖域なく行われるはずであったが、数人の大奥女中に抵抗され、大奥は改革の対象外とされた。天保の改革が行われた時期には既に幕府の権威が低下し、財政のみならず行政面など問題点が多かったため、大奥の改革への妨害があり、結果的に改革が煩雑となってしまい、社会を混乱に導き改革は失敗と判断された。更に水野失脚後に株仲間が再興されたことで、幕府権力が商業資本の前に自己の政策を貫徹できなかったという、幕藩体制にとっては悪しき先例を残す結果となり、幕府衰退を早めた。これに対して、同時期に長州藩や薩摩藩はそれぞれ国情に応じた改革を実行した。その成果によって藩の財政は改善され、幕末には雄藩と言われるほどの力を得ることができた。つまり国家による政策よりも地方ごとにまかせた行政の方が「結果的に」成長力を伴うことになったのである。もしもは無いけども、各藩が改革を行わなければ幕末の日本はどのようになっていたのか?衆議院選挙後・金融危機後の日本はどうなったのであろうか?

・人事刷新
大御所時代に幕府の風紀は乱れ、賄賂が横行したため多くの官僚を処分した。
(政治家の賄賂が問題になっていた)
・綱紀粛正
倹約令を施行し、風俗取締りで芝居小屋の江戸郊外(浅草)への移転、寄席の閉鎖など、庶民の娯楽に制限を加えた。(無駄使いが多かった、文化施策の予算を削減した)
・軍制改革
アヘン戦争で清がイギリスに敗れたことにより、打払令を改めて、薪水給与令を発令し、燃料・食料の支援を行う柔軟路線に転換する一方、西洋流砲術を導入させ、近代軍備を整えさせた。(他国の力を借りつつ、軍事も増強した)
・人返し令
貨幣経済の発達により農村から都市部へ人口が移動し、幕府収入の基本である年貢がが減少。そのため、江戸に滞在していた農村出身者を強制的に帰郷させ、安定した収入源を確保しようとした。(江戸から地方への人の移動)
・株仲間の解散。
高騰していた物価を安定させるため、株仲間を解散させて経済の自由化を促進しようとした。しかし、株仲間が中心となって構成されていた流通システムが混乱してしまい、かえって景気の低下を招いてしまった。(国家による勝手な民間力の制限)
・上知令
江戸や大阪の周囲の大名・旗本の領地を幕府の直轄地とし、地方に分散していた直轄地を集中させようとした。これによって幕府の行政機構を強化すると共に、江戸・大阪周囲の治安の維持を図ろうとした。大名や旗本が大反対したため、上地令は実施されることなく終わった。改革の切り札となるはずだった上知令は、かえって改革自体を否定することになった。(中央集権国家の失敗)
・金利政策
相対済令の公布とともに、一般貸借金利を年1割5分から1割2分に引き下げた。そして札差に対して旗本・御家人の未払いの債権を全て無利子とし、元金の返済を20年賦とする無利子年賦返済令を発布し、武士のみならず民衆の救済にもあたった。しかし貸し渋りが発生し、逆に借り手を苦しめることになった。(金利の低下は流通を阻害する)

2008年6月22日日曜日

はじめて考えるときのように

哲学書というよりは教養の実用書としてかかれ、ポップな絵も挿入されていてうまく作ってあるなぁという印象をもつ。結構面白い内容がかかれている。ヘウレーカ!と叫ぶ事はなかったけれども、考える事につちいてのイメージを広げた後に、考える事を問うことと言い換え、論理的思考、枠組み離論、身体感覚へと繋がる。身体感覚などは現代社会で忘れそうな捉え方なのでこの本の最終に挿入されている事はなかなか意味深い。そんなに高尚な事は書いてないけれども個人主義というような言葉が生まれる中にあってそれをまた問い直すきっかけにすすめ。


2008年6月20日金曜日

現象学

現象学:

ドイツ観念論の完成者としてのヘーゲルがデカルトやカントを引き継いで、全体社会的で人間悟性的な思想を発展させていったところに現象学を生んだ模様です。物と認識の分離、神と人間の分離、自己意識の肯定を進めた人たちでしょうか。とてもヨーロッパ的ですし、ヘーゲルはアジアが嫌いだった見たいですね。


■ヘーゲルの現象学
ヘーゲル(1770年 - 1831年)
ドイツ観念論を代表する思想家。
ヘーゲルの精神現象学は、単純な感覚的確信から始まり、絶対知へ至るまでの精神の弁証法的発展を叙述する学問である。

原意は精神の現象学。ヘーゲルの哲学大系の中では、「精神現象学」とは「意識」を問題とする哲学の分野。「精神現象学」の領域における「意識」の発展を、ヘーゲルの弁証法に基づいて示せば、

1. 意識そのもの
2. 自己意識
3. 理性

の3段階を示す。「意識そのもの」の段階では、「感性的意識」から「知覚」へ、そして「悟性」へと認識が深められる。次にこのような認識の主体としての「自己」が自覚され、「自己意識」が生じる。この「自己意識」と同質な意識を他者にも認めることによって、他人の「自己意識」をも認識し、単なる自我を超えた普遍的な、他者との共通性を持つ「自己」、「理性」の現れとしての「自己」を認識にするに至る。この過程が「精神現象学」である。

一方で『精神現象学』ではやや異なる広い意味での「精神現象学」が記述されており、前述の「理性」段階に至るまでの「精神現象学」に続いて、「客観的精神」「絶対的精神」をも考察の対象に含める。つまり「意識」あるいは「主観的精神」のみならず広く「精神」一般をその対象に含む。


■フッサールの現象学。
フッサール(1859年 - 1938年)
フッサールにおける超越論的現象学は、彼の継承者と批判者とによって展開され続けている哲学の一分野である。世界がすでに「ある」とする態度を棚上げ(エポケー、「判断停止」と訳される)して、そのような信念がどのようにして成立するか、そしてそのような「ある」ものとしての世界は、経験からどのように構成されるのかを探求する。エポケーとは古代ギリシアの哲学者であるピュロンにより初めて用いられた。そこでは物の本性を把握するのは不可能でありそれゆえ「判断を差し控えるべき」であるとされ、現象学に通ずるものがある。

今日一般的に「現象学」と呼ばれるのは、「解釈学」と並ぶ現代ドイツ哲学の二大潮流の一つで、フッサールによって提唱されたものを指す。フッサールは従来の認識論が立っていた「意識」を自明視する態度を斥け、この態度を以下の3点から特徴づけ批判する。

1. 認識の対象の意味と存在を自明的としていること[1]
2. 世界の存在の不断の確信と世界関心の枠組みを、暗黙の前提としていること[2]
3. 世界関心への没入による、意識の本来的機能の自己忘却[3]

このような態度の下では、人間は自らを「世界の中のひとつの存在者」として認識するにとどまり、世界と存在者自体の意味や起源を問題とすることができない。このような問題を扱うために、フッサールは世界関心を抑制し、対象に関するすべての判断や理論を禁止することで(このような態度をエポケーという)意識を純粋な理性機能として取り出す方法を提唱した。

2008年2月4日月曜日

睡眠

睡眠をとる事と、記憶。私もよく睡眠時間を気にする方だと思う。できるだけ起きていて情報を探していたいタイプであるが、実際はそうも行かない。
先日、脳科学者の池谷氏の講演をウェブで拝見したところ、100人ぐらいの無作為の人を対象に行ったアンケートによれば、人は大体6-8時間程度の睡眠時間を望み、実際にもそれにマイナス1時間程度の睡眠時間を取得しているそうだ。しかし、これは単なる自己愛によるものであって、記憶の定着からの関係性によると、人によっては大きく異なり2-3時間でも平気な人もいるらしい。ただし、重要なのは記憶が定着したり、覚醒時に取得した情報を整理する脳の機能が働く事。なんでも睡眠時、正確には深い眠りに着くノンレム睡眠時にこそ脳は活発に活動しその役割を果たすらしい。その働きとは、記憶の定着と論理の整理、そして新しい発見を行う事。それは、ずっと起きて活動している人と8時間程度の睡眠をとった人の各種試験問題の成績や記憶テストを行う事で明らかになっているらしい。そしてそこから得られた現在の結論はというと、適度に寝る方が記憶が定着しやすく、論理の組み立てもうまく行き、芸術的な目覚めも多いとか。しかし、ひとつの条件がある。「寝る前に必要な情報をたくさんインプットしておくこと」要するに寝る前にこそたくさん勉強しろという事だ。うーんなるほど。本当にそうなのか?と立証する気はないが、寝る前の読書量を増やしてみる。

2008年1月20日日曜日

夜と鎖

人生の目的ってそれを見つける事。
若返った気持ちになってそんな事を考えてみる。
最近のニュースを見ていると、これは良く言われる事だが、胸が痛む様な事件が多い。それは単純に残酷なという意味ではなく、人としての有り方に締め付けられる。数年前であったか妻に出て行かれて父子家庭となった父親が「生活に苦しくなった」と小学生の二人の子供を抱えて高層ビルから飛び降り心中したのである。それだけならまだという感もしないではないが、その後の親子の部屋から見つかった手紙にはこうあった。「おかあさん、ぼくたちが天国からおかあさんのことをうらむ、おかあさんもじごくへいけ」。なんとも言えない。こんな時代なのか、豊か過ぎる時代だからこのような残酷さも現実のものとなってしまうのだろうか。いや逆にこの親子は貧しさの中にはまっていたのかも知れない。豊かなのではなく、貧しさのためなのだ。今日本は二極化の時代へ突入しようとしている。アメリカの夜が忍び寄る日本。そこに生まれる豊かさの影に潜む貧しさ。心の貧しさではなく金の貧しさ。我々は聖人ではない。この切り離せない現実に立ち向かうには、世界に迎合せず袂を分かつ勇気が広がる必要がある。

2008年1月19日土曜日

かな

古来日本の伝承術であったオーラルコミュニケーションから、漢字文化の流入による仮名の発達に日本の方法を見ることが出来る。それは言語術の発展であり、らしさの追求であるといえる。と言うのも、日本語の発音に見られる同音異義語や洒落、シャレ、オノマトペイアなどの方法がその文化進展、伝承を表し、今日の我々にもその感覚、ネイチャー感覚を齎してくれるからだ。
最初の仮名の発展は平安期に遡り、古今和歌集を真名序と仮名序の二つの序文に表した紀貫之の活躍が見逃せない、その後の「かな」を使った土佐日記もしかり、大きく日本の方法を見つめ、本居宣長や今日へと方向を示した立役者ではなかろうか。
現在の日本におけるそのような編集を試みる人は何処にいるのか、それを見てみたい。