2009年2月15日日曜日

ブルーオーシャン

ブルー・オーシャン戦略は、米ビジネススクール教授が唱える経営戦略論。競争の激しい既存市場を「レッド・オーシャン」とし、競争のない未開拓市場である「ブルー・オーシャン」を切り開くべきだと説く。そのためには、顧客にとってあまり重要ではない機能を「減らす」「取り除く」ことによって、企業と顧客の両方に対する価値を向上させる「バリューイノベーション」が必要だとしている。対になる思想としてマイケル・ポーターの競争戦略は「事業が成功するためには低価格戦略か高付加価値戦略のいずれかを選択する必要がある」としている。一方でブルー・オーシャン戦略では、低コストと顧客にとっての高付加価値は両立し得ると主張している。書籍では日本の10分1000円のカット専門店の事例などが紹介されている。韓国サムスングループが組織的にブルー・オーシャン戦略を実践していることが知られている。ゲーム業界において、ソニー(プレイステーション3)やマイクロソフト(XBOX 360)が仕掛けた高性能化競争に埋没しかけていた任天堂が、Wiiの開発にブルー・オーシャン戦略を応用したといわれている。比較的ロースペックのハードウエアながら、「Wiiリモコン」などの新機軸で、ゲーム慣れしていない層にとって付加価値を提供することに成功した。顧客のニーズやシーズを発見していくという方法なのだあろうか。Wiiリモコンは高付加価値ではないとはいえないと思うが、「高」ではない「新」を目指す所にブルーオーシャンがあるのだろう。とはいえ、イノベーションというからにはそう簡単には生まれるものではないし、生まれることはおかしい。つまりは市場の誰かがその役割をになうという意味でしょうか。「高」へ向かう進歩と「新」は並立するもの。

2009年2月12日木曜日

ブレトン・ウッズ体制

1944年。国際通貨基金(IMF)の設立を決定したこれらの組織を中心とする体制。1930年の世界大恐慌により作られたブロック経済圏→世界大戦への反省として通貨の安定を図った。そのため金1オンスを35USドルと定めた金本位制を採用。この固定相場制のもとで、日本円は1ドル=360円に固定された。この体制下で西側諸国は、史上類を見ない高度成長を実現。日本は高度経済成長を実現したが、アメリカ経済の拡張的な姿勢によりドルのインフレが進行。崩壊。アメリカの一段の景気回復を目指した変動相場制(ニクソンショック)へとつながる。

2009年2月11日水曜日

イスラエル総選挙

イスラエルで総選挙が行われているらしい。国会定数120で現与党第1党の中道政党カディマと右派野党のリクードの両方が同等の得票率を得て全体を占めているらしい。
出口調査ではカディマが29―30議席、リクードが現有議席の倍以上となる27―28議席の獲得を予想。リクードが倍以上というのが大きな変わり目か。
リクードは、ネタニヤフを党首とする新自由主義・世俗主義の政党。旧約聖書の教えに基づく領土拡大・占領地への入植をめざした大イスラエル主義がモットーらしいので、今後のイスラエルとパレスチナ、加えてアメリカの動向が気になるところ。パレスチナのイスラム原理主義ハマスとの対立は深まり続けるのだろうか。それとも一気に武力的な解決に向かうのか。その時に果たしてアメリカはそれに目を瞑るか。迷走し続けるイスラム。すくなくとも中東の紛争が今よりも激しくなる事であろう。

2009年2月9日月曜日

アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド

1861-1947。イギリスの数学者、哲学者。論理学、ケンブリッジ大学、ロンドン大学、ハーバード大学の各大学において、教鞭をとる。
ケンブリッジ・プラトニズムとよばれる思想に基づく。プラトンなどを中心思想とし、中世的な古い神学を批判。キリスト教者として持つべきの信仰と、人間が持っている本来的な理性とをいかに矛盾なく調和させるかという課題に取り組んだ。プラトンの著書を聖書と同列におき、理性と信仰の合体を目指した。
ホワイトヘッドは「西洋の全ての哲学はプラトン哲学への脚注に過ぎない」という『過程と実在』におけるくだりが有名。近代ヨーロッパにおいて生まれた機械論的自然観が「抽象を具体とおき違える錯誤」にもとづくことを指摘し、有機体論的自然観を提唱した。有機体の哲学は、近代の自然科学の勃興によって廃れてしまった形而上学の構図を現代の先端的な科学の領域を媒介することによって復活させようとする試み。著作において、近代の単なる人間中心的な思考から、人間がその環境世界(自然)と人間を越える存在(神)とに深くかかわる事によって初めて人間たりうるという基本的な観点が貫かれている。ハイデガー(1889-1976)にも影響を与えていると思われる。プロセス思想。有機体哲学。

2009年2月8日日曜日

縄文土器

縄文人はどんな生活を送っていたのだろうか。西洋の石器文化に対して縄文文化がある。かれら縄文人は農耕ではなく、狩猟採集という方法を用いて生活していた。栽培能力があるにも関らずである。そのため代表とされる文化の一つである縄文式土器というのもこれまた石器文化のそれとは異なり、煮炊き用としてつくられたのだ。そのため底が丸くなっていたりとがっていたりする。当時としてはなかなかユニークな方法。そしてそこには自然と共に暮らす彼らの宗教的な姿勢が入っていたのだろう。縄文式土器の文様にはそのような物語が刻まれている。土器を取り巻く模様に留まらず中後期に作られた火焔土器などは、縄文時代を代表する縄文式土器の一種である。燃え上がる炎を象ったかのような形状は、「火」とともに暮らす彼らの自然観が練りこまれている。

2009年2月7日土曜日

フリードリヒ・ハイエク

1899-1992。ノーベル経済学賞受賞。その思想は、英国のマーガレット・サッチャーや米国のロナルド・レーガンによる新保守主義・新自由主義の精神的支柱となった。ハイエクは現在はリバタリアニズムの思想家の一人とみなされているが、本人は古典的自由主義者を自称。
ハイエクは集産主義と計画主義には「市場のどの参加者よりも一部のエリートの方が賢明である」という前提があると考えたが、実際においては市場の情報や知識をすべて知ることは不可能であり、部分的な情報を熟知する参加者達が参加する市場こそがもっとも効率のよい経済運営の担い手であると説いた。エリートよりも情報を持つものが優位に立つ。そのため彼は、経済分野に留まらず「理性」に至上の地位を与えるような合理主義には常に反対していた。人間は現存の秩序をすべて破壊し、そこにまったく新しい秩序を建設できるほど賢明ではないとし、既存の秩序、つまり「自然発生的秩序」の重要性を説いた。彼は理性の傲慢さのもたらす危険性を常に問題視していた。デカルト以来の「理性主義」を「設計主義的合理主義」と呼び、自由主義的な「進化論的合理主義」と峻別、自由主義を体系的に論じ「理性主義」を批判した。

彼の考え方によるとそもそも、人間の理性は、文明社会そのものを創造する能力はもっていないのだ。人間の行為は、一つは先天的で本能の欲求によるものであり、もう一つは人間社会が歴史的に経験を通して試行錯誤と取捨選択を積み重ねることにより発展してきたルール、伝統、規範に従ってのものである。文明社会は人間の営みの結果であっても、それは人知を超えたものによって発展しているものであり、そこに人間の理性(知力)が入る余地はわずかである。人間はその本質において、誤りに陥りやすい存在であり、人間社会は「漸進的な発展(改良、進歩)」が期待されるのであって、もし理性を乱用し「革命的な進歩」を目指した場合、文明そのものを破壊する。道徳規則の形成も、人間の社会における実践的な営みの経験の中で成長したものであり、人間の理性による意識的な発明ではない。同様に、社会秩序も「自生的秩序」であり、自由社会と不可分の関係にある、「法の支配」と市場経済の二大原則の確立もこれにほかならない。こうした考えから、計画経済と集産主義、それに基づく社会主義、共産主義、ファシズムに対して反対し、同時にファシズムも左翼に分類した。神のみえざる手と協力に結ばれた新自由主義的な思想である。

医療制度

日本では、国民医療保険に入っていれば、地元の病院、里帰りしての病院、個人病院、総合病院、公立病院、私立病院、どこでも自由に利用でき、医療費も、どこでも同じように保険が利きます。また、緊急時も、誰もが平等にその病院での最善の医療が受けられる。いつでも平等にがモットー。一方で、アメリカは、日本のような国が運営する国民皆保険がない。このため各人は、民間の保険会社の中から、自分たちにあった保険を探し出して、契約をする。多くの場合、企業が従業員の福祉厚生制度の一環として導入し、従業員本人および家族が対象となっているのだ。実際、企業をとうして医療保険に加入する事になるため、勤めている企業がどの保険制度やプランで契約しているかによって、受けられる保険の給付内容や自己負担の割合なども異なってくる。多様な人種・性格に合わせてこちらも多様。勿論収入にあわせて医療の方法も多様。お金がないと病気や怪我がひどくなっても、受診費はもちろん、入院、検査、手術、救急室、高額医療費などの幅広い医療費を払わなければ満足な医療を受けられないのである。ただ、一方で公的な医療保険というものもあり、65歳以上の高齢者を対象とするメディケアと、生活困儒者の公的援助をしてあるメディケイドの2種類あります。前者は国から発効されて後者は各州の厚生基金から出されている。が、不十分なのだとか。オバマの改革は持つものから持たざるものへのお金の流れを誘導するもので、ここにも及ぶ予定と期待されている。