岡潔は1901年(明治34年)4月19日に大阪府大阪市で生まれた。父祖の地は和歌山県の山村、和歌山県伊都郡紀見村(後に橋本市)である。1925年(大正14年)、京都帝国大学卒業と同時に同大学講師に就任、1929年(昭和4年)、同大学助教授に昇進。1929年(昭和4年)より3年間、フランスに留学。1932年(昭和7年)、広島文理科大学助教授に就任したが、1938年(昭和13年)、病気で休職、のち辞職。郷里にもどり、孤高の研究生活に身を投じた。1941年(昭和16年)秋から翌年にかけて北海道大学に赴任。札幌市在住の、終生に亘る心腹の友であった中谷宇吉郎と旧交を暖めた。後、再び帰郷し、郷里で終戦を迎えた。1949年(昭和24年)、奈良女子大学教授に就き、1951年(昭和26年)から晩年までは奈良市に住まい。
フランス留学時代に、生涯の研究テーマである多変数解析函数論に出会うことになる。当時まだまだ発展途上であった多変数解析函数論において大きな業績を残した。一変数複素関数論は現代数学の雛型であり、そこでは幾何、代数、解析が三位一体となった美しい理論が展開される。現代数学はこれを多次元化する試みであるということもできよう。解析の立場から眺めると一変数複素関数論の自然な一般化は多変数複素関数論であるが、多変数複素関数論には一変数の時にはなかったような本質的な困難がともなう。これらの困難を一人で乗り越えて荒野を開拓した人物こそ岡潔である。
具体的には三つの大問題の解決が有名だが、特に当時の重要な未解決問題であったハルトークスの逆問題(レヴィの問題ともいう。および関連する諸問題)に挑み、約二十年の歳月をかけてそれを(内分岐しない有限領域において)解決した。岡はその過程で不定域イデアルという概念を考案したが、アンリ・カルタンを始めとするフランスの数学者達がこのアイデアをもとに層という現代の数学において極めて重要な概念を定義した。また、(解析関数に関する)クザンの第2問題が解けるためには、それを連続関数の問題に置き換えた命題がとければよいとする「岡の原理」も著名である。
『春宵十話』
数学は論理的な学問である、と私たちは感じている。然るに、大切なのは情緒である。人の中心は情緒だから、それを健全に育てなければ数学もわからないのだ。さらに、情操を深めるために、人の成熟は遅ければ遅いほどよい。
フランス留学時代に、生涯の研究テーマである多変数解析函数論に出会うことになる。当時まだまだ発展途上であった多変数解析函数論において大きな業績を残した。一変数複素関数論は現代数学の雛型であり、そこでは幾何、代数、解析が三位一体となった美しい理論が展開される。現代数学はこれを多次元化する試みであるということもできよう。解析の立場から眺めると一変数複素関数論の自然な一般化は多変数複素関数論であるが、多変数複素関数論には一変数の時にはなかったような本質的な困難がともなう。これらの困難を一人で乗り越えて荒野を開拓した人物こそ岡潔である。
具体的には三つの大問題の解決が有名だが、特に当時の重要な未解決問題であったハルトークスの逆問題(レヴィの問題ともいう。および関連する諸問題)に挑み、約二十年の歳月をかけてそれを(内分岐しない有限領域において)解決した。岡はその過程で不定域イデアルという概念を考案したが、アンリ・カルタンを始めとするフランスの数学者達がこのアイデアをもとに層という現代の数学において極めて重要な概念を定義した。また、(解析関数に関する)クザンの第2問題が解けるためには、それを連続関数の問題に置き換えた命題がとければよいとする「岡の原理」も著名である。
『春宵十話』
数学は論理的な学問である、と私たちは感じている。然るに、大切なのは情緒である。人の中心は情緒だから、それを健全に育てなければ数学もわからないのだ。さらに、情操を深めるために、人の成熟は遅ければ遅いほどよい。
コメント