■【BOOKWARE】
マルガレーテ・フォン・トロッタ演出の『ハンナ・アーレント』を試写で見た。『ローザ・ルクセンブルク』の監督だ。バルバラ・スコヴァがみごとに好演していた。冒頭からラストシーンの演壇スピーチまで、煙草を手放さないアーレントになっていたのも、気にいった。マールブルク大学の学生時代にハイデガー先生の不倫の相手になった場面もさりげなく入った。日本では10月公開だから、とくに女性は見るといい。
アーレントの両親は典型的なユダヤの知識人で、ナチス政権下の社会主義者である。当然、アーレントもユダヤ人排撃と闘った。しかしアウシュヴィッツ収容所の“下手人”ともくされるアイヒマンの裁判を傍聴し、その感想を「ニューヨーカー」に頼まれたとき、アイヒマンは凶悪な怪物ではなく凡庸な人物にすぎず、「悪の陳腐と無思考性」が目立つばかりだと書いた。
すでに欧米哲学界の名声をほしいままにしていたアーレントは、この一文で一斉に叩かれてしまった。映画は、それでも毅然として主張を曲げなかったアーレントの、静かではあるけれど、堂々とした演説シーンで終わる。
アーレントの哲学の根本には「ヴィタ・アクティーヴァ」があった。「活動力に富む生活」だ。アーレントはこの活動生活を5つの危機が脅かしてきたと見て、その危機と闘い続けた女性なのである。今日のわれわれも目をそらすべきではない5つの危機だ。よくよく直視したい。
(1)同じ原因による戦争と革命の危機。
(2)大衆社会という危機。
(3)消費することだけが文化になっていく危機。
(4)世界とは何かということを深く理解しようとしない危機。
(5)人間として何かを作り出し、何かを考え出す基本がわからなくなっている危機。
耳が痛いものばかりであるが、アーレントにとっては、このような危機と闘おうとしないことこそが、世界と人間を劣化させることだった。主著のひとつ『人間の条件』はこのことを綴っている。
いま、われわれは何が「悪」なのかが見えなくなっているのではない。オバマのアメリカがシリアを爆撃するために、中国が尖閣諸島へ侵犯しやすくするために、それぞれ持ち出す「正当性」を暴けなくなっていることが問題なのだ。アーレントが生涯を通じて訴え続けたことも、このことにある。
それはそれとして、ぼくはハンナ・アーレントが生涯にわたって、あの細い2本の指に煙草を挟み続けたことに、もっと拍手をおくりたい。
■【KEY BOOK】「人間の条件」(ハンナ・アーレント著、志水速雄訳/ちくま学芸文庫、1575円)
この有名な一冊が問うていることは、「私たちが行っていること」が何であり、そのことを考えるとはどういうことなのかという一件だ。アーレントは、そのためには「労働」と「仕事」と「活動」を分ける力をもつための「思考」こそが鍛えられなければならないと見た。これはアーレントが「人間の条件」は「真のヴァイタリティ」に集約されると見たということである。まさに彼女自身が「思考するヴァイタリティ」だった。
■【KEYBOOK】「革命について」(ハンナ・アーレント著、志水速雄訳/ちくま学芸文庫、1523円)
はたして国家や社会は、戦争と革命でしか活性化できないのだろうか。アーレントの政治哲学が抱えたテーマはずっとここにあった。本書はアメリカ独立革命とフランス革命を比較し、どちらも独立と自由を謳っていながら、かなり異なる結末をもたらしたと見た。アーレントにとっては、社会のすべての構成員がその活動性を公的にできる自由を獲得することだけが、唯一の政治改革であり、社会哲学なのだった。
■【KEYBOOK】「全体主義の起原」全3冊(ハンナ・アーレント著、大久保和郎・大島かおり訳/みすず書房、4725~5040円)
アーレントが論壇の注目を浴びた大著。反ユダヤ主義、帝国主義、全体主義をこの順に説いた。反ユダヤ主義も世界観のひとつであったこと、帝国主義は権力だけが築いたのではなく、資本と大衆の結託がそれを支えたということ、全体主義はヒトラーのナチズムにもレーニンのボルシェヴィズムにも体現されていることが、指摘されている。本書はいまなお現代政治哲学の最大の必読書だ。
■【KEYBOOK】「ハンナ・アーレント伝」(エリザベス・ヤング=ブルーエル著、荒川幾男ほか訳/晶文社、6930円)
アーレントの日々と生涯をあますところなく描いた評伝の決定版。ぼくには、彼女がもともと類いまれな「交友の天賦の才能」と「友情のエロス」に富んでいたことを縷々(るる)浮き彫りにしているところが印象的だった。そのルーツがすでに学位論文「アウグスチヌスにおける愛の概念」や「ロマン主義時代のユダヤ人女性の愛の歴史」に湧き出ていたことも本書で初めて知った。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/SANKEI EXPRESS)
http://www.sankeibiz.jp/express/news/130917/exg1309171742009-n1.htm
オンライン サンケイから引用
マルガレーテ・フォン・トロッタ演出の『ハンナ・アーレント』を試写で見た。『ローザ・ルクセンブルク』の監督だ。バルバラ・スコヴァがみごとに好演していた。冒頭からラストシーンの演壇スピーチまで、煙草を手放さないアーレントになっていたのも、気にいった。マールブルク大学の学生時代にハイデガー先生の不倫の相手になった場面もさりげなく入った。日本では10月公開だから、とくに女性は見るといい。
アーレントの両親は典型的なユダヤの知識人で、ナチス政権下の社会主義者である。当然、アーレントもユダヤ人排撃と闘った。しかしアウシュヴィッツ収容所の“下手人”ともくされるアイヒマンの裁判を傍聴し、その感想を「ニューヨーカー」に頼まれたとき、アイヒマンは凶悪な怪物ではなく凡庸な人物にすぎず、「悪の陳腐と無思考性」が目立つばかりだと書いた。
すでに欧米哲学界の名声をほしいままにしていたアーレントは、この一文で一斉に叩かれてしまった。映画は、それでも毅然として主張を曲げなかったアーレントの、静かではあるけれど、堂々とした演説シーンで終わる。
アーレントの哲学の根本には「ヴィタ・アクティーヴァ」があった。「活動力に富む生活」だ。アーレントはこの活動生活を5つの危機が脅かしてきたと見て、その危機と闘い続けた女性なのである。今日のわれわれも目をそらすべきではない5つの危機だ。よくよく直視したい。
(1)同じ原因による戦争と革命の危機。
(2)大衆社会という危機。
(3)消費することだけが文化になっていく危機。
(4)世界とは何かということを深く理解しようとしない危機。
(5)人間として何かを作り出し、何かを考え出す基本がわからなくなっている危機。
耳が痛いものばかりであるが、アーレントにとっては、このような危機と闘おうとしないことこそが、世界と人間を劣化させることだった。主著のひとつ『人間の条件』はこのことを綴っている。
いま、われわれは何が「悪」なのかが見えなくなっているのではない。オバマのアメリカがシリアを爆撃するために、中国が尖閣諸島へ侵犯しやすくするために、それぞれ持ち出す「正当性」を暴けなくなっていることが問題なのだ。アーレントが生涯を通じて訴え続けたことも、このことにある。
それはそれとして、ぼくはハンナ・アーレントが生涯にわたって、あの細い2本の指に煙草を挟み続けたことに、もっと拍手をおくりたい。
■【KEY BOOK】「人間の条件」(ハンナ・アーレント著、志水速雄訳/ちくま学芸文庫、1575円)
この有名な一冊が問うていることは、「私たちが行っていること」が何であり、そのことを考えるとはどういうことなのかという一件だ。アーレントは、そのためには「労働」と「仕事」と「活動」を分ける力をもつための「思考」こそが鍛えられなければならないと見た。これはアーレントが「人間の条件」は「真のヴァイタリティ」に集約されると見たということである。まさに彼女自身が「思考するヴァイタリティ」だった。
■【KEYBOOK】「革命について」(ハンナ・アーレント著、志水速雄訳/ちくま学芸文庫、1523円)
はたして国家や社会は、戦争と革命でしか活性化できないのだろうか。アーレントの政治哲学が抱えたテーマはずっとここにあった。本書はアメリカ独立革命とフランス革命を比較し、どちらも独立と自由を謳っていながら、かなり異なる結末をもたらしたと見た。アーレントにとっては、社会のすべての構成員がその活動性を公的にできる自由を獲得することだけが、唯一の政治改革であり、社会哲学なのだった。
■【KEYBOOK】「全体主義の起原」全3冊(ハンナ・アーレント著、大久保和郎・大島かおり訳/みすず書房、4725~5040円)
アーレントが論壇の注目を浴びた大著。反ユダヤ主義、帝国主義、全体主義をこの順に説いた。反ユダヤ主義も世界観のひとつであったこと、帝国主義は権力だけが築いたのではなく、資本と大衆の結託がそれを支えたということ、全体主義はヒトラーのナチズムにもレーニンのボルシェヴィズムにも体現されていることが、指摘されている。本書はいまなお現代政治哲学の最大の必読書だ。
■【KEYBOOK】「ハンナ・アーレント伝」(エリザベス・ヤング=ブルーエル著、荒川幾男ほか訳/晶文社、6930円)
アーレントの日々と生涯をあますところなく描いた評伝の決定版。ぼくには、彼女がもともと類いまれな「交友の天賦の才能」と「友情のエロス」に富んでいたことを縷々(るる)浮き彫りにしているところが印象的だった。そのルーツがすでに学位論文「アウグスチヌスにおける愛の概念」や「ロマン主義時代のユダヤ人女性の愛の歴史」に湧き出ていたことも本書で初めて知った。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/SANKEI EXPRESS)
http://www.sankeibiz.jp/express/news/130917/exg1309171742009-n1.htm
オンライン サンケイから引用
コメント