生きていくのに必要なものと、あれば便利なものとを区別もできるようになるから、コマーシャリズムにものせられることもない。作れるものは自分で作るし、できそうにないことでもやろうとする。人とのつながりもだいじにするようにもなる。オカネがありすぎるとなんでもオカネで解決しようとするから、生きる術、工夫、創造性といった事が身につきにくい。
「豊かな国」を目指した日本、「豊かな国民は国家の財産」を目指した西ドイツ。平均1350万円の貯蓄があっても不安感が拭えない国民がいる国と、4〜5万円の貯蓄しかもたなくても、1ヶ月の休暇をとって自分のやりたい活動で海外に出かけていく国民のいる国。
工業を中心とする第二次産業が目覚ましい発展を遂げていた当時の日本において、都市に人を集める理由はただひとつ。労働力と表裏一体の消費者が必要だったのだ。もっとも必要なのは、消費者の存在であり、それはまた同時に労働力である。そのために農村から人集めをする必要があった。そこにTVCMを始めとするマスメディアによって様々な欲望を刺激され、消費する事の快楽を知った大衆は消費者そのものとなり、大衆消費社会はできあがった。それは大量浪費社会、豊熟社会のモノ・カネあまり。
『フランドン農学校』宮沢賢治。家畜撲殺同意調印法
「買いたい」と考えている客に対してセールスしても、それは「売った」ことにはならない。それは「売れた」のだ。「買いたい」と考えていなかった客に、いかに売り込むかがセールスなのだ。
営業も含めたトータル事業が今の農業。
大量消費社会への疑問。
など納得し賛同。消費社会でなく地域自立社会か。
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