日米地位協定

今年2010年に日米地位協定の改定から50周年を迎える。
江戸時代後半から始まったと思われる日本と米国の関係で主なものは、
1853年 ペリー来航
軍艦4隻を率いて日本に開国を迫る。
2本の白旗を日本政府に渡し国際関係のルール(西洋文化のルール)を
押し付けに来た。
1941年 大東亜戦争
第2次世界大戦。日本の侵略戦争によるものか?米国のエネルギー封鎖
に対する必然か。
1952年 日米安全保障条約
国連を挟まず2国間の関係として結んだ不平等条約。在日基地の確認、核確認。
背景には東西冷戦やベトナム、朝鮮戦争がある。成立背景を考えるならば、
時限的条約であるべきだ。
1960年 日米地位協定
日米安保、日米行政協定の再確認。在日米国人に対する特権の許諾。
1972年 沖縄返還
当時で数百億ドルのお金、核持込密約、思いやり予算、輸出規制
などの条件と交換に沖縄を取り戻す。お金で解決するのであれば良いが、
その後の継続的な一方的不平等はいかがなものか。
1985年 プラザ合意
竹下登が総理になる事を目論見結んだ合意。円高10%以上を市場介入により
誘導する。その後のバブル経済及び破綻を引き起こす。20年来の日本経済
停滞の原因である。
今後の日本は暴力的戦争の結果成立っている現在の日本と米国の関係を一つ一つ解消していくべきだ。日米安保、普天間基地の移設、対日要求条項などが率先すべき議題ではないだろうか。そしてその後にガキ大将といじめられっ子の小学生的な関係がやっと対等になるのではないだろうか。もちろんその後北方領土に代表される旧ソ連との関係も戦後処理として残っている。

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