塔頭

禅宗関係。山内塔頭、山外塔頭などがある。もともと禅寺において祖師や大寺・名刹の高僧の死後、その弟子が師の徳を慕って、塔(祖師や高僧の墓塔)の頭(ほとり)、または、その敷地内に建てた小院のことをいう。それから転じて、寺院の敷地内にある、高僧が隠退後に住した子院のことも「塔頭」あるいは「塔院」と呼ぶようになった。「塔中」と書くこともある。中国の禅寺では本来、住持を隠退した者は、東堂・西堂の僧堂で雲水たちと共同生活をする決まりとなっていた。時代が降ると、大寺の中に小庵を結びそこに住する者が現れるようになったが、それは一禅僧の一代限りの措置であった。そのような中国の慣習が日本に伝わると、開山など、禅寺にとってとりわけ大切な人の墓所としての塔頭・塔院と同一視されて永続的な施設となり、日本独自の「塔頭」という存在が認知されることとなった。さらには、塔頭は、独自に檀那や寺領を獲得し、その門弟によって継承されることとなったのである。
その根元にあたる仏塔は、インドの「ストゥーパ」が起源の仏教建築物である。サンスクリット語で、ストゥーパは饅頭のような形に盛り上げられたインドの墓のこと。日本では「卒塔婆(そとば)」と音写され、「塔婆(とうば)」や「塔(とう)」と略される。漢の時代に中国に伝わり木造建築の影響を受けた。ストゥーパに塔の字が使われるようになったのもこの頃である。日本では五重塔・三重塔・多宝塔など。

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