アウグスト・ピノチェト

ピノチェト(1915年~2006年)は、チリの軍人で政治家。1937年にチリ軍に入隊し、1971年に陸軍大将となる。1973年8月23日にはカルロス・プラッツの後任として陸軍総司令官に就任し、そのまま1973年9月11日にクーデターを敢行、軍事評議会のリーダーとなる。クーデターの対象となった政権は1970年に自由選挙によって選ばれた史上初めての社会主義政権となったアジェンデ+ネルーダ。ただこれも冷戦時代に反共主義を誰彼となく支援したホワイトハウスの影がある(『サンチャゴに雨が降る』)。ピノチェト政権はミルトン・フリードマンが主張する新自由主義(サッチャー、レーガン、クリントン、中曽根康弘、小泉純一郎)を実行し、1973年には4.3%であった失業率が10年間に22%に上昇。貧富の差は急激に拡大し、貧困率はアジェンデ時代の2倍の40%に達した。そのため経済政策を変更kし、ケインズ政策を実行して軌道修正を図ったが時すでに遅く1988年10月5日の国民投票で敗北。この新自由主義の期間は「失われた10年」といわれている。どこかの国みたいだ。
ピノチェトに対しては、「軍事独裁政権を敷いた冷酷な独裁者」と云う見方、「アジェンデと並ぶアメリカ合衆国の犠牲者」と言う見方、「アメリカ合衆国がチリをダメにした」、「ピノチェトはアメリカ合衆国の被害者だった」という見方がある。

コメント