オマル・トリホス

1929年-1981年。エルサルバドル、アメリカ合衆国、ベネズエラの軍人学校で英才教育を受けた。
1952年、国家防衛隊に入隊し、反体制派の弾圧に辣腕を振るう。
1968年、クーデターに加わり、最高司令官となり全軍を掌握する。
1972年、新憲法を制定して国の最高指導者としての全権を握り、ペルー革命を指導したペルーのベラスコ将軍に影響を受けた民族的政策を打ち出して国民の熱狂的支持を集めた。その一環としてパナマ運河地帯の主権回復を目指し、キューバのカストロ議長と親交を深め、近隣諸国に協力を求めるなどアメリカ合衆国に揺さぶりをかけた。
1977年、アメリカ合衆国と運河返還を約束する条約の締結に成功し、国民生活の改善に務めた。
1978年、国家主席の座を退いたが国家防衛隊最高司令官としてとどまり、新たに結成した民主革命党(PDR)を通じて圧倒的影響力を発揮し続けた。
1981年、謎の飛行機事故で死亡した。死因は暗殺とも言われている。

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