中国の王朝。1260年―1368年。国号の元は1271年に定められた。モンゴル帝国第5代ハーンのフビライ(世祖)が大都(北京)に遷都して,中国を支配。漢民族以外による始めての中国大陸の統一を成し遂げる。1279年南宋を滅ぼし,領域は中国全土からモンゴル本土を含み,朝鮮,チベットをも服属させた。日本やジャワにも遠征している。後内紛が起こり、朱元璋により倒される。
宋王朝→元王朝→明王朝
以下引用。中国で民は生民、天から生まれた存在で、天下に属した存在であるが、国家との間に関係はない。だからこそ国富民窮という構造が生まれる。中華民国以前のシナ大陸では国名がない。シナ大陸で存在したのは王朝名だけ。様々な王朝が出ては消えて入れ替る繰り返しで、王朝名が途切れて他民族の国名が冠せられた時代が“女真人(満州人)の金に圧迫されて衰退し、大元モンゴル国に占領された時代”である。今風に言えば「漢民族が異民族に占領され、歴史から漢民族(中国人)の王朝名が消え去った時代」。
中国に国教は定められていないが、思想の中心を占めると思われる儒教について、中国や韓国の儒教と、日本で大きく進化した儒教とは大きな違いがあるのだそうだ。儒教について、「中国の歴史を貫く儒教と官僚制度、絶対に過ちを犯さないという中華思想が、同じく過ちを犯さないはずの共産党というシステムを受け入れる土台となった。儒教には万人平等という思想がない。少数のエリートが多くの民衆を統治するべきという官尊民卑の思想がある。中国には死者の安らかな眠りという考えはない。仏教、キリスト教、イスラム教にある死後の救済という考え方は、儒教には一切ないからだ。一度、悪人と決められたら未来永劫悪人で復権はない。杭州の岳王廟(岳飛廟)には、南宋時代に救国の英雄とされた岳王こと岳飛が祀られている。同じ場所に奸臣・売国奴とされる秦檜(しんかい)の夫婦が上半身裸で縛られた像があり、人々はつばをかける。かっては小便をかける者もいた。中国人にとっては、秦檜夫婦は極悪人だから、死後もこうやって辱めるのが正しいと考える。中国で祭るといえば、立派なことをした特定の誰かを対象としている。中国では戦没者みたいな死者を慰めるために祀ったりはしない。
宋王朝→元王朝→明王朝
以下引用。中国で民は生民、天から生まれた存在で、天下に属した存在であるが、国家との間に関係はない。だからこそ国富民窮という構造が生まれる。中華民国以前のシナ大陸では国名がない。シナ大陸で存在したのは王朝名だけ。様々な王朝が出ては消えて入れ替る繰り返しで、王朝名が途切れて他民族の国名が冠せられた時代が“女真人(満州人)の金に圧迫されて衰退し、大元モンゴル国に占領された時代”である。今風に言えば「漢民族が異民族に占領され、歴史から漢民族(中国人)の王朝名が消え去った時代」。
中国に国教は定められていないが、思想の中心を占めると思われる儒教について、中国や韓国の儒教と、日本で大きく進化した儒教とは大きな違いがあるのだそうだ。儒教について、「中国の歴史を貫く儒教と官僚制度、絶対に過ちを犯さないという中華思想が、同じく過ちを犯さないはずの共産党というシステムを受け入れる土台となった。儒教には万人平等という思想がない。少数のエリートが多くの民衆を統治するべきという官尊民卑の思想がある。中国には死者の安らかな眠りという考えはない。仏教、キリスト教、イスラム教にある死後の救済という考え方は、儒教には一切ないからだ。一度、悪人と決められたら未来永劫悪人で復権はない。杭州の岳王廟(岳飛廟)には、南宋時代に救国の英雄とされた岳王こと岳飛が祀られている。同じ場所に奸臣・売国奴とされる秦檜(しんかい)の夫婦が上半身裸で縛られた像があり、人々はつばをかける。かっては小便をかける者もいた。中国人にとっては、秦檜夫婦は極悪人だから、死後もこうやって辱めるのが正しいと考える。中国で祭るといえば、立派なことをした特定の誰かを対象としている。中国では戦没者みたいな死者を慰めるために祀ったりはしない。
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