主客

「生まれ生まれ生まれて、生の始めに暗く、死に死に死に死んで、死の終わりに冥し」矛盾と葛藤の只中にある確実なものとはこれが純粋経験に通じる。二項対立を前提にしているヨーロッパ哲学は、弁証法もそうであるが、二項対立の止揚がうまく行かないときは対立したままの姿がのこってしまう。これではこびりついた錆の様にまずいのではなかろうか。そこで登場する二項同立。根本において同着があることこそ、次の発動をおこす原動力になる。こんなあわせ技に驚くも、イエスかノーかをいちいち言わないというこの論理はすんなりと入っていかない。ただ、入っていなくともこの様な考え方から行動を見る事が出来るのかと感じいる。そこには「行為的直観」と言うような、言葉でなく純粋経験とも言える感覚が存在しなければ不可避であろう。この純粋経験というものは面白くて受け止める力とも言えるのではないか。いやおう無しに分岐する先を選択させる様な海外文化に接した時にこの方法へとうつろうのも悪くは無い。

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