サイクル生産・再生産・清算

一人による拡大再生産は市民を蔑ろにする行為なのではないか。
アーティスト、ミュージシャン、芸術家、特に個人活動家においては
さらには、新しさ、斬新さを常に更新していく義務を負ってしまった
職業は再生産を無駄に過ごし、社会を勇気付ける役に立っているのか
という疑問が湧いてくるのだ。
そんな同一の個人がずっと活躍する必要などは無く、全ての人が
かわるがわる担当を替えれば良い。カリスマなんて言葉に寄り添って
特定の個人が同じ立場に立ち続ける必要なんてないのではないか。
それ程血縁が必要?地縁や職縁でもいいのではと感じる。
それは単なるサイクルのスピードを上げるのとは違う。
変わったものは再び同じ場所に立つかも知れないし、立たなくてもよい。
その時間、その場所、その環境で生まれた一品こそに価値があるという事
を認める意識を持つべきなのだ。

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